安土城|もう一つの登城道・東門道

安土城のニッチな城道をご紹介します。ただしここからは安土城の天主付近には行けませんので、安土城に始めて訪れる場合にはまず、安土城|城跡案内板 を参考にして大手道から安土城を散策した後にこちらをお楽しみください。

安土城には有名な大手道の他に百々橋口道、七曲り道、搦手道、東門道があります。これらについてはいくつかのサイトで紹介されていますが、なぜか東門道についてはほとんど紹介されていません。

そこで、この東門道がどんな道なのか?実際に歩いてその道筋の様子を確かめてみました。

この東門の入口は北腰越と呼ばれる、安土山と観音寺山の間を通る朝鮮人街道の峠付近にあります。安土城の駐車場からは 内堀跡の散策道を通って300メートルくらいのとろにある松源院弘法大師堂から入る事ができます。また入口はここ以外にもう一つあり、立派な「安土城址」石碑が立てられていまが現在この入口は塞がれています。

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現在では、松源院弘法大師堂からしか入れませんのでまずここから入ります。松源院弘法大師堂の前を通り石の階段を登りとすぐに石仏に出会い、この道が霊場巡りのミニ巡礼道として使われてている事が分かります。調べてみるとこの巡礼道は、1849年に五個荘の安福寺の寿仙という尼僧が発起人となり、賛同者の寄付により大正八年に整備されたという情報がありました。

少し進むと立派な石垣があり、その角に「東門」の名が刻まれた石碑が立てられています。ちょうどここはその上にある郭の虎口にあたり、防御の為かここで道は折れ曲がっています。

すぐその先には削平地があります。ここは御茶屋平と呼ばれる郭の跡地ですが、現在では四国八十八カ所巡りの起点を象徴するかのように、多くの石仏がピラミッドのように積み上げられれています。何とも不思議な光景です。

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この御茶屋平の北側の通路を抜けたあたりにはお堂があり、ここで道は二手に分かれています。その道の一方は中腹を安土城の中心部に向い、もう一方は尾根筋に向っています。安土城跡の案内図にはこの尾根筋の道沿いに、神様平と馬場平の 2つの削平地が示されています。

ここで尾根筋方向に向かうと、道に沿って石仏が並んでおり、最初に出会う石仏には八十七と書かれている事から、巡礼道を逆走していることが分かります。またこの道は幅もせまく、安土城の城道では無く巡礼道として造られた道のように見えます。

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少し進むと尾根に到達します。道幅は広がり苔むしています。風情があり歩きやすい道です。少し進んだところで道は稜線を少し南側に逸れます。そこで稜線に登ってみると削平地があり、角の丸い四角い大きな石が意味ありげに鎮座しています。おそらくこのあたりが神様平と呼ばれているところなのではないかと思います。

道に戻りさらに進むと、南側の下方に大きな 2つの削平地が現れます。ここが馬場平と呼ばれる場所のようです。このあたりは石垣だらけです。それにしてもこのあたりの石垣の立派さには驚かされます。

安土城築城以前この安土山は目賀田山と呼ばれ、佐々木六角の有力な家臣であった目賀田氏の居城がありました。このため安土山に残る目賀田城の遺構について語られる事が良くあり、馬場平に目賀田城があった事を示唆する研究者もおられます。この馬場平では石垣と小石塁が組み合わせて使用されており、これは初期の観音寺城独特の構造だそうです。また観音寺城の支城として有意な位置関係にあることから、ここに目賀田城があったとしても不思議ではありません。

馬場平から先、道は延びていますが幅が狭まりすぐに行き止まりになります。そこで、このあたりから中腹方向に下ると、広い立派な道に出ます。この道は東門道の幹線と思われ、広い道が続いていますが少し進んだところに立入禁止のロープが張られており、安土城中心部にに抜ける事はできません。

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そこでこの道を戻り御茶屋平方面に向かいます。道は歩きやすく足元の悪いところには丸太で橋がかけてあります。風情があり歩きやすい道です。馬場平あたりまで戻ると立派石垣に出会いその上にも馬場平直下の石垣が見えます。馬場平を見下す尾根道も石垣で固められている事から、この付近は尾根筋に向って少なくとも 3段の石垣が施設されています。

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そのまま進むと御茶屋平を通過し東門道は終了しますが、御茶屋平に着く直前の斜面にも多くの石垣があります。この石垣は、松源院に入ったところから山腹を中堀跡に沿って戻ると見ることができます。

松源院の関係者用駐車場あたりから中堀跡に沿って山腹に入るとすぐこ右手に大小の石垣が見えます。多きなものは50メートルくらいの長さがあり、高さは最大で 5メートル近くあります。またこの大きな石垣は 2カ所で継ぎ足しが行われています。この継ぎ足しが工法によるものなのか、成り行きで増設されたものなのかは不明ですが、端の石垣の角は算木積になっており反り返りもあることから、素人の目には独立した石垣に別の石垣が継ぎ足されているように見えます。

そしてこの石垣が途切れたあたりから上を眺めると大小の石垣が散在しています。このあたたりの下は内掘であり、上には東門道が通っている事から、東側からの侵入者に対して強固な防御が行われていた事が伺えます。

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なお、この松源院駐車場の奧については、立ち入り禁止では無さそうですが、全く整備されていませんので立ち入りはお奨めできません。

また安土城跡には観光コースやこの東門道周辺以外にも、搦手口筋の八角平を始め、椿平、七兵衛平、九品寺平、薬師平などの興味深い名前の場所があります。しかし現在、これらの場所には立入る事ができません。

以下の左の地図は安土城跡の大手道入口に設置されている案内板からの転載です。この地図を見ると安土城跡の全体像と、ここで取り上げたた東門道、御茶屋平、馬場平、神様平などの位置が良く分かります。また、以下の右の地図は近江蒲生郡志巻弐に折り込まれている観音寺城址図の一部です。この地図は大正四年に測量され大正五年に製図されたものですが、これを見ると百年前の安土城東門道入口付近の様子が良くわかります。

* 地図はクリックで拡大できます。

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この大正時代の地図を見ると、内堀跡は現在よりも多く残っており、琵琶湖が安土山のすぐ近くまで迫っている事がわかります。そして朝鮮人街道はこの堀跡と琵琶湖を避けるように通っています。さらに安土城東門道は朝鮮人街道から自然に分岐するような形に描かれており、その先には御茶屋平、神様平、馬場平があります。そしてその東門道沿いの山裾(南)斜面には幾つもの郭が連なっています。さらにもう少し詳しく見てみると、東門道は御茶屋平を通っていますが、神様平と馬場平からは少し離れています。この事から御茶屋平は安土城の遺構であり、神様平と馬場平はそれ以前の目賀田城の遺構なのではないかと憶測しているところです。

安土城

安土城跡の見学コースは、大手道から天主に登り、帰りは中腹あたりで百々橋道方向に折れ、西側を周回するルートになっていますが、安土城にはこのコースやここで紹介した東門道の他にも七曲り道、搦手道などの多くの城道があります。

これらの往時の城道が、近江蒲生郡志に綴じ込まれている 大正時代に作られた安土城の縄張図 に描かれていますのでぜひご覧ください。

このように古地図等で調べてみると、安土山全体が城跡遺構で埋め尽くされている事が分かり、有料の周回ルートだけでは本来の安土城の姿を知る事はできません。しかし周回ルート以外の多くの場所は立ち入りが禁止されており、今後はこれらの見学ができるようになる事を切に願っています。

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