観音寺城 は安土城より前に石垣が多用された日本最大級の山城です。五大山城の4番目にあげられており、隣の安土城に勝るとも劣らない魅力的な山城です。ところが城域に向かう道筋が整備されておらず、今までは観音正寺や桑實寺の参道を利用するしかありませんでした。しかし最近、ボランティアの皆さんの努力によって追手道が整備され、山裾の御屋形跡から中心部の一角にある池田丸まで、安全に登れるようになりました。
今まで石寺側の山裾から観音寺城の本丸付近に登る場合には、観音正寺の参道を利用するしかありませんでしたが、この道は本来の登場道では無いうえに、石段の段差が大きく決して歩きやすくはありませんでした。しかし今回の整備によって、観音寺城本来の登城道である追手道が利用できるようになり、道筋自体も観音正寺の参道よりもずいぶん歩きやすい道になっています。
そこでこの道を紹介させていただく訳ですが、観音寺城へお出かけの際にはまず以下の地図をご覧ください。この地図は全国山城サミットが安土で開催された時に頂いた冊子からの引用ですが、郭と城道が詳細に示されており郭や道筋等、観音寺城の全貌が良くわかります。今回整備された追手道はこの図の下から上に向かって延びている 3本の道の最も左の道です。 なお観音寺城と佐々木六角氏については、観音寺城|近江源氏 佐々木六角、埋蔵文化財活用ブックレット11 – 観音寺城跡 等に解説がありますので併せてご覧ください。
観音寺城の主要な郭と城域内の道

* この地図は「埋蔵文化財活用ブックレット11 – 観音寺城跡」からの転載です。
日吉神社の鳥居の前を左折して御屋形跡に向かう
整備された観音寺城の追手道の起点は御屋形跡です。山裾から観音正寺の参道を登り、しばらく進むと日吉神社があります。ここを直進せず左に折れるとすぐに御屋形跡があります。
日吉神社の鳥居前。ここを左に折れ追手道の入口に向う

道の先は御屋形跡。追手道にはこの御屋形跡から入る

御屋形跡周辺は竹と雑木が伐採され、石垣が良く見えるようになりました。
御屋形跡に上る階段の手前

御屋形跡に上る階段の手前(整備前の様子)

御屋形跡に上る階段の途中

御屋形跡に上る階段の途中(整備前の様子)

整備された追手道|御屋形跡から林道繖山線までの様子
追手道へは右手に見える石垣の手前から入る事ができます。道筋には自然木の階段が設置されています。このお追手道は、鳥打峠から上ってくる繖山林道で分断されており、防火用水のあるところで一旦途切れます。なおここに上げた写真は遺構や景観等の見所の紹介では無く、道筋の様子を紹介する事を目的としていますので単調なものになっています。また多少前後している箇所や振り返って撮影した箇所もありますのでご注意ください。
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整備された追手道|林道繖線から池田丸までの様子
この林道から上に登るための追手道の入り口は、防火用水の置いてあるところから林道を鳥打峠方向に 30~40 メートルくらい下ったところにあります。元々はそのまま直進していましたが、林道が通された事により急斜面が生じ通行できなくなりました。
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こんな感じで観音寺城山裾にある御屋形跡から池田丸までの道が整備されています。
整備される前の追手道の様子
この追手道が整備される前の様子をご覧ください。次に紹介する写真は2008年に撮影したものですが、この翌年の 2009年には緊急雇用対策の予算で、この 追手道の林道より上の部分が整備 されており、今回(2015年)の整備は近年に行われた 2度目の整備という事になります。
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立派な石垣の前を通り本来の入り口といわれている所に向かう。
来た道を右折。大手道・追手道への本来の入り口といわれているところにに通じる道。左手に石垣作りの畑があるが、建物の跡のように見える。
これが本来の追手道への入り口といわれているところ。正面の谷沿い道は御屋形跡に直行しており、御屋形跡の直前で追手道と大手道方向に分岐している。
この道の入り口付近は道幅が狭く草も多い。
進むにつれ道はだんだんと開けてくる。
御屋形跡付近から振り返る。
来た道(左)と御屋形跡に上がる階段(右)
この交差点を横切った先は竹林だが、直進方向にも道らしき形跡がのこっている。これが本谷筋の入り口であると言われている。この道に入るとすぐに道筋ははっきりしなくなるが、確かに谷筋に到達することができる。この入り口は大手道に通じる天満宮の、入り口階段付近に位置しており、階段に向かって右手方向になる。よってかつてはこの付近で、尾根筋(追手道)を登るか谷筋を登るかの選択が行なわれていたのではないか?
階段の上り口には天満宮入り口を示す石柱がある。しかし階段は天満宮が置かれる以前に、佐々木六角氏の御屋形屋敷のために作られたものであり、本来は天満宮の施設ではない。
階段を登る途中、右手を見ると立派な石段が見える。
階段を登りきった正面には御屋形屋敷の案内板がある。この西側(写真正面)にはしっかりした土盛でで囲まれた平地がある。
東側の奥には天満宮がある。
追手道は天満宮の右から尾根に続いている。
天満宮の右から 20-30メートル入ったところで、道は御屋形屋敷を囲むように左手にまがっているが、道なりには進まず右手に折れ、尾根に向かってに登る。良く見るとなんとなく道らしきものがある。
尾根に入る。
尾根にはすぐに到達する。尾根にはわりとしっかりした道が残っている。
上って行くと、ところどころに石垣の崩れたような跡があるが郭のようなものは見当たらない。
普通に歩けるまずまずの道が続く。
大きな岩を迂回するように道が続いている。
枯れ枝や倒木によって道が塞がれているところがある。
道は狭く、ところどころ塞がっているが尾根から外れないようにすれば迷うことは無い。
だいぶ林道に近づたところ。
林道に出る数メートル手前。
防火用水のおいてある林道の待避所に出る。
来た方向を振り返る。
大手道は直進しているが林道で道が切断され、目の前は絶壁が立ちはがかっている。このため、絶壁をよじ登るかまたは迂回するかの選択が迫られる。
迷わず迂回することに決め、林道を下る。
10 メートル あまり下ったところで覚悟を決めて突入。
道らしきものは無いが、よじ登らなくてはならないほどではない。
5分くらいで尾根(大手道)に出られる。結構しっかりした道が残っている。
ところどころに倒木があり、これらが処理された形跡も残っている。
ところどころに倒木があり、これらが処理された形跡も残っている。
道の勾配の急な部分では、石段が姿を現す。
大石垣の少し手前には、崩れかけた石垣がある。
大石垣に到着。中央付近から右側を見る。
向きを変えて撮る。
石垣の角から。
さらに上に進む。道ははっきりしているが道幅は狭く、右側は深い谷になっている。
さらに少し進むと T 字路になっているところに出る。ここでは左上方向に進まなくてはならない。右に曲がると池田邸下の大きな広場に出る。
だんだん勾配が急になってくる。
右手には小さな石垣が見えると、すぐその上は池田丸。
無事池田丸に到着。
せっかくの城跡めぐりですので、お寺の参道では無く観音寺城本来の登場道である追手道を利用されてはいかがでしょうか?
参考: 観音寺城|散策の備忘録
2009年の緊急雇用対策による整備
2009年に緊急雇用対策の予算で整備された直後の追手道の様子です。大変きれいな道に様変わりしましたが、整備されたのは林道繖線から上の部分に限られていた事に加え、林道からの登り口が整備されておらず、万人が利用するには不完全なものでした。なおここもある写真には、追手道からは離れた位置にある、目加田邸付近のものも含まれています。
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参考: 観音寺城|散策の備忘録
雪野山♡しもはねだ里山天国について